能力の限界は悪意ではない

「仕事ができないな~」

と思う人と、一緒に働く羽目になったことはあるだろうか?

わたしは、一緒に働いていたスタッフが、あまりに仕事ができず、辟易したことがある。

その人が、どんな風に仕事ができなかったのかというと

自分が嫌いな同僚は無視

自分が嫌いな顧客も無視

Google先生に聞けばわかることでも、同僚に聞いて回る

同じことを何度も質問する

職場で奇声を発する

などだ。

私はその言動を見るたびにイライラしていた。だから、一度、☆に相談したことがある(☆については「中の人たち」参照)。

「その社員を見ていると、虫唾が走るんだが、イライラする私がおかしいのだろうか?」

と。

☆の回答は

それが、ソイツの能力の限界だ

だった。

その当時は、釈然としなかった。

けれども、最近、あることに気が付いた。

能力が足りないことは、悪意ではないというこだ。

もちろん、仕事ができるようになるために、努力をすべきではないのか?とか、自分の言動を顧みるべきではないのか?と思う人もいるだろう。

実際に、私も、そう思っていた。

けれども、努力をしないことも、悪意ではないのだ。

なぜなら「努力するという能力がない」ということだからだ。

では、なぜ、努力できないのかといえば、自分に期待することができないからだ。言い方を変えれば、自分を諦めているからだ。

「努力すればできるようになる」という希望がなければ、人は行動をしない。

努力ができる人は、他人も努力ができると思う。人は自分が当たり前にできることは、他人も当たり前にできると思うからだ。

だから、自分を諦めていて、努力をしない人がいるとは夢にも思わない。

その結果、努力をしない人を見ると、「わざと」努力をしないと思ってしまう。それが不満を生み、怒りを生んでしまう。

大切なことは、相手の言動が故意なのか、単に能力の限界なのかを見極めることだ。

もし、相手が努力をしないことが、能力の限界であるなら、相手に期待しても、残念ながら無駄である。
そういう場合は、関わらないようにするなど、自分のストレスが減る方法を考えることが、最も最善の方法である。なぜなら、自分の時間と労力を浪費しないで済むからである。