嫌い
イライラする
ムカつく
腹が立つ
そんな風に、誰かを見て嫌な気分になることはないだろうか?
それどころか
憎しみ
恨み
といった、もっと暗い感情を抱くこともあるかもしれない。
人間は脳にある網様体賦活系の作用で、興味があることしか認識しないと言われている。
そうであるなら、なぜ怒りや憎しみといった不快な感情を感じる情報を、脳は拾ってくるのだろうか。
普通に考えたら、そんな情報はない方が、人生が生きやすいと思う。
けれども、先日、ふと気が付いた、末代まで祟ってやろうかと思うくらい憎しみを感じる人も、結局は自分が「見たい」と望んだから、その人を見ているのだと。
なぜなら、そういう自分が怨念を抱く人を見たときほど、人は心の奥深くで感じているからだ、自分自身の存在意義を。
例えば、存在意義が「自由」の人は、自由を侵害する人を見ると、許し難い怒りを感じる。また例えば、存在意義が「愛」の人は、愛を踏みにじる人を見ると、抑えようのない憎しみを感じる。
マザーテレサは次のように語った。
ある人々は神のご加護として私たちの人生にやって来ます。またある人々は教訓としてあなたの人生にやって来ます。
マザーテレサ
わたしたちは、表面に出てくる怒りや憎しみに目が向きやすい。けれども、その強烈な不快さの後ろには、自らの存在意義という静かな感覚が横たわっている。
そのことに気付かせるために、ある人は優しさを使い、ある人は憎しみを使う。
だから、自分の人生で出会うすべての人は、恩寵なのだ。その恩寵に気付いたとき、本当の意味での「 」を、人は知るのだろう。
では、今、人生で許しがたいほどの憎しみや恨み抱えている人は、どうしたら良いだろうか?
ひとつの方法として、赦せないことを紙に書くことがある。
相手が自分にどんなにひどいことをして、自分がどのように傷つき、嘆き、悲しみ、あるいは、憤り、憎しみを感じたかを、紙に書き出してみるのだ。
どんなに汚い言葉を使っても構わない。大人の分別なんて放り投げて、自分の思っていることを、すべて書き出すのだ。
紙が何枚になってもいい、本当にもう書くことがない、と思うまで書くのだ。
そうすると、不思議なことが起こる。相手のことを、なんとなく赦しても良いかな、という気になるのだ。
書いた紙は、燃やしたり水に流したりして、処分しよう。間違っても誰かに見せてはいけない。
憎しみや怒りも感情である。だから、きちんと感じれば、本来は消えていくものなのだ。
ずっとひとつの感情が尾を引くときは、どこかでその感情を否定しているのだ。
例えば、赦すことが良いことだとか、相手にも事情があったとか、そんな理由を付けて、自分の怒りや憎しみを、自分の中で抑圧してしまっているのだ。
だから、紙に書き出すことで、その自分の感情や思いを、すべて吐き出すのだ。
今まで抑えていたものが多いと、一度では効果が出ないかもしれない。地味な作業だから、効果があるのかと、疑問に思うかもしれない。
けれども、一度、赦せなかったことを、実際に紙に書いてみると良い。必要なものは、ペンと紙と少しのやる気だけだから。きっと、自分の感覚が変わることが、実感できるはずだ。



