「生きづらい」その根底にあるもの【DAY55】

※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照。

自分を理解して欲しいと言うが、他人を理解したいとは言わない

ときどき大粒の雨がガラスを打つ。

少し冷たい、けれども水を含んだ空気が、体温を不快に押し上げる、そんな日の夕方。

☆と話をした。

最初は、業務連絡のために話を始めたが、やがて『生きづらい』と感じることがある、そんな話題になった。

私は小さいころから『生きづらい』と感じることが多かったが、☆もそんな感覚に覚えがあるようだ。

『生きづらい』

という感覚は人によって、いろいろかもしれない。例えば不安感が強いとか、自分に自信がないとか、自責が強いとか。

その中で、最もしんどい感覚は『周りと馴染めない』『周りから理解されない』という感覚ではないだろうか。

人は集団生活をすることで生き延びてきた種族であるから、周りの人と馴染めない=孤立するということは、生死に関わることになる。

生物は自分を存続させるようにできているから、生死に関わることは、その個体にとって大きなストレスになる。

私は昔から周りに馴染めないことがよくあった。

その理由はふたつ。

ひとつは他人に対して怯えがあったこと。だから、いつも周りに対して警戒していた。仲の良いカウンセラーからは「鉄壁のスチールカーテン」と冗談めかして言われるくらいには、強固な壁を作っていた。これは、私が毒家族育ちであることが起因している。

もうひとつは、他人の痛いところを平気で指摘してしまうこと。大人になってから気付いたけれど、私が素のまま話すと、相手にとっては、見透かされている感じがして、不快なようだ。これに関しては、なぜそうであるのかはわからない。強いて言うなら「見えてしまう」というくらいで。

小さい頃、いや、大人になってからも、一定数の人からは、「そういうところを直した方が良いよ」と言われてきた。

他人に対する怯えについては、カウンセリングなどで改善した。けれども、後者の『見えてしまう』ことはどうにもならない。なぜなら、自分でも理由がわからないし、自分ではダメなだことだと思えないからだ。

もちろん、最近では『考えて話す』ということを学習したので、昔のように相手に不快な思いをさせないようには、気をつけてはいるが。

ただ、本来、生まれもった特性や感覚に、良いも悪いはなく、それを元にその人を判断する必要はない。その感覚や特性は、持って生まれた本人も、周りの人間も、理解し、受け入れるものであり、変えるべきものではないからだ。

いや、正確にいえば、変えることはできないのだ。

なぜなら、持って生まれた固有の感覚や特性を変えろということは、例えるなら男性に女性になれと言うのと同じことだからだ。

そんなことは実際には不可能だろう。

けれども、現実には、他人と変わった感性を持って生まれると、周りからは「変わるべきだ」と言われ、『生きづらい』と感じることが多い。

それは、大多数の人は、自分とは違う感覚を持っている人がいることが分からず、また他人を理解しようとしないからだ。

だから、自分と違う感覚や特性に対して「それはおかしい」「変えるべきだ」と言う。

『理解しようとする』ことは忍耐を要する。そして、『理解しようとする』よりも『理解をしてもらう』ことの方が気持ちが良い。だから、そうなってしまうのは、致し方ないことなのかもしれない。

ただ、だからと言って、今までの体験を悲観をしているわけではない。

なぜなら、『理解をしようとしてくれる人』の貴重さや、『理解をしようとする』ことの大事さが身に染みてわかるからだ。

これからの時代は、今までのような権力者からトップダウンで下まで命令が下されるようような縦の社会ではなく、自立した個々が必要な時に繋がる横の社会になると言われている。

そうなったときに、『理解』の大切さを知っていることは、大きな財産になるだろう。

どんなことでも、経験したことは無駄にはならない、そんな風に思う。

→DAY56へ

→DAY1から読む