※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照。
自分の価値は他人が決めるんだ
困った。困ったぞ。どうしよう。ありがたいが、困ったぞ。
その日、私は困っていた。
知り合いから、仕事としてライティングを教えて欲しいと頼まれたからだ。
ライティングを教えること自体はやぶさかではない。
その知り合いの役に立てるなら、それも嬉しいと思う。
ただ、どうにも釈然としない。
なぜなら、「お金をもらうほどのことか?」と思ってしまうからだ。
もちろん、教えるためには、労力や時間がかかる。
ライティングを学ぶために、私がかけてきたコストもある。
いい加減なものを教えようという気もない。
けれども、どうにも自分ができることが、お金をもらうほど、価値があるとは思えないのだ。
これは、昔からの私の傾向であって、恐らく私の自分自身に対する価値観の希薄さからきているのだろうと思う。
いつもは内的な問題は、自分で何とかするのだが、さすがに今回はどうにもならないと思った。
そこで、☆に相談した。
そして、彼が言った一言は「自分の価値は他人が決めるんだ」。
「価値」というのは、その対象物が「どれくらい大切であるか、役に立つか」ということだが、何を大切に思い、何を役に立つと思うかは、人や状況、場所などによって、その都度、変化する。けれども、私はどこかで「絶対的な価値が、自分自身になくてはならない」と思い込んでいて、そのために、自分の価値を探して、どうにもならなくなっていたようだ。
これは、恐らく心理療法を学んできたことの弊害だろうと思う。心理療法では「自己価値観がないから、毎日が苦しい」、裏を返せば「自己価値観が上がると、人生がうまくいく」と教えるところが多いからだ。それが、いつの間にか「絶対的な価値がなくてはならない」と転化していたようだ。苦しみがあるときは、誰でも「救われたい」その一心であるから、仕方がないとは思うが、自分の頭で考えないことの危険性を、改めて痛感した。
また☆と話している最中、面白い体験をした。それは、世界が回る体験だ。
「自分自身に絶対の価値がなければならない」と思っていたとき、常に私の視点は「自分から世界を見る」ように固定されていた。けれども、☆と話をしているときに、突然、視点が「世界から自分を見る」ようにぐるりと回ったのだ。まさに、これが世に言う、コペルニクス的転換!
カウンセリングやコーチングのセッションでも、もちろん、この転換は起こるわけだが、カウンセリングやセッションのときは、トランス状態に入っているので、通常の意識のようにはリアルに感じないのだ。
今回は、トランスに入らないままに転換が起きたので、そのリアルさや鮮明さは群を抜いていて、衝撃的だった。
その結果、「自分の価値」というのは、正直、どうでもよくなった。「相手にとっての価値とは何か」「そのために私ができることは何か」そのことだけを考えれば良いということがわかり、本当に自分自身が軽くなったと思う。
ただ、同時に、参ったな、とも思った。
カウンセラーが何年もかけて学んで習得することを、心理療法なんてどこ吹く風の☆にさらっと実行されてしまうと、正直、立つ瀬がないな、と(笑)身近にそういう「勘弁してくれよ」と思うくらいに、先を行く人がいるというのは、刺激があって良いことではあるのだが、ときどき、切なくなるのは間違いない(笑)。





