自由とは限りのない選択肢【DAY101】

 ※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照

 自由とは何か?

 そう問われたら、あなたは、なんと答えるだろうか?

 先日の国家戦略会議ユグドラシル(国家戦略会議ユグドラシルについてはLiber用語集を参照)で、自由の定義について話をした。

 自由というと、一般的な言葉のイメージは、規則に縛られない、他者から制約を受けない、自分の意思に従って行動する、そんなところだろうか?

 でも、立ち止まって、考えてみて欲しい。

 上記のような「自由」の意味について、自分に実感があるだろうか?
 その「自由」ということを、どれだけ本気になって考えたことがあるだろうか?

と。

 私は自由について

「責任が取れる範囲で、他から束縛されることなく選択ができる」

と、思ってきた。

 そこに疑問もなかったし、実際に自分が責任を取れるだろうか、という観点で今まで物事を決定してきた。

(もしかしたら、一定数の人は責任の定義は何かということが気になってしまうかもしれない。しかし、責任に言及すると長くなるので、ここでは端的に「自分で対応ができる」そんな意味と思ってもらえれば良いと思う。)

 しかし、先日の国家戦略会議ユグドラシルで、☆の言葉を聞いて、♧(☆と♧については中の人たちを参照)が次のように言っていた。

お前(☆)の言ってる自由ってのは無限の話をしてるんだな。
(☆が自由の話をするときは)可能性の無限の話をしてるんだよ。

 それを聞いて、思った。

 私の自由への解釈は、もしかしたら、過去にどこかで聞きかじったことだったのかもしれない、と。

 私を含め多くの人は、自由になりたいと言うけれども、なかなか「自由」が手に入らない。

 それは、何故だろうか?

 恐らく「自由」という言葉の定義が曖昧で、「自由」をイメージができないことが原因の一端ではないだろうか。人の行動はイメージが先行するから、イメージが出来ないと、人は行動できない。行動ができなければ、現実は変わらない。

 自由になりたいと言いながら、自由になれない人は、「自由」という言葉が当たり前になりすぎていて、自分にとっての「自由」が何であるのかが、明確にわからないのかもしれない。自分が欲しいものがわからないから、具体的な行動が思い描けず、結局、願うだけになってしまう、そんな気がするのだ。

 だから、「自由」などのように、普段、慣れ親しんで自分はわかっていると思う言葉ほど、自分にとっての意味を突き詰めて考えてみることが必要なのだと思う。

 そして、考えてみて、その望むものが実感として自分の手の中に落ちてきたとき、欲しいものが手に入る未来へ一歩近づくのだろう。

 さて、☆の自由の定義は可能性の無限であることだった。

 あなたの自由の定義はなんだろうか?

 ぜひ、考えてみてほしい。

 きっとあなたの欲しい未来への扉がひとつ開けると思うから。

→DAY102へ

DAY1から読む