人から優しくされるとそこから成長していく人と、優しくされることが当たり前だと開き直る人がいます。その違いはどこから生まれるのでしょうか。人の成長と愛の関係からその原因を考えてみたいと思います。
成長するために必要なこと
人が成長するためには何が必要だと思いますか?
知識?技術?経験?
それもあるでしょう。
でも、最も重要なのは安心。
「誰かから虐められるかもしれない!」
「とにかくSurviveしなければ!」
と警戒心いっぱいのときに、おちおち未来だの成長だのと、考えてはいられないからです。
「自分はここにいていいんだ」
「自分は受け入れて貰えるんだ」
「誰も自分を攻撃したりしないんだ」
そんな風に自分は大丈夫と思える感覚があってはじめて「未来はどうしよう」とか「もっとより良い人生にするには、どうしたら良いか」と考えられるのです。
この「自分は大丈夫」という感覚を、心理学用語ではセキュアベースと言います。日本語にすると「心の中の安心安全の場」です。
心理療法ではこのセキュアベースが何より大事だと教わります。セキュアベースがあって初めて人は自分と向き合い、変わっていけるのだと。
確かにそれは正しいのでしょう。
でも、セキュアベース「だけ」あれば、人は成長していけるのかといえば、そうではありません。
セキュアベースだけでは、かえって成長を止めてしまうことがあります。それは、安心安全の場を得ると、そこに開き直ってしまう人がいるからです。
「どんなにダメな自分でも、周りに迷惑をかけても、周りから嫌われても、自分で努力する必要はないし、変わる必要も無い。自分はこのままで良いんだ、周りが何とかすべきなんだ、だって自分にはできないんだから」
と「できない自分」を変に肯定してまうのです。
では、安心安全を得て成長していける人と、成長を止めてしまう人の違いは、どこにあるのでしょうか?
それは安心安全の感覚を得た後に、挑戦という次のステージに進めるかどうかです。
成長とは、できなかったことができるようになったり、知らなかったことを学んだりと、未知の自分に出会うことです。
その未知の自分と出会うためには、今まで経験したことのないことに「挑戦」することが必要になります。だから「挑戦」ができない人は成長していくことができないのです。
安心したら成長を止めてしまう理由
安心の感覚を得た後に、挑戦という次のステップに進める人と、進むことを辞めてしまう人の違いは、どこにあるのでしょうか?
それはその人が獲得した安心の質です。
ときどき「あなたはあなたのままでいい。嫌なことはしなくていい。できないことはしなくていい。する必要はない」と、温室に入れて、本人が嫌なことから遠ざけて、猫可愛がりすることが、安心を与えることであり、相手を愛することなんだと、勘違いする人がいます。
もちろん、心身ともに傷ついて、生きる気力もないときには、そういう無条件の溺れるような愛の中で安心を得ることが必要です。
けれども、この無条件の支配的な溺愛には条件があります。
それは「今は」ということ。
「心身が疲弊している『今は』嫌なことを含めて『自分で』で何もする必要はない」
ということなのです。
心身が疲弊しているときは、本人の判断で動いても良いことはありません。なぜなら、精も根も尽き果てるほど心身が疲弊しているときは、まともな判断ができなくなっているからです。そんな時はどれだけ考えても、現状を適切に把握することもできないし、今までと別の選択肢を発見することもできません。だから、結局、今までと同じことをやり続けようとします。
例えばワーカホリックな人は、さらに仕事を続けようとするし、自分に鞭を打って頑張り続けてきた人は、さらに鞭を打って頑張り続けようとしてしまいます。
普通の人から見たらおかしなことに見えるかもしれません。しかし、本人は疲労やストレスによって、視野も狭くなり感覚も麻痺しているため、自分が今まで繰り返してたことしか見えなくなってしまっています。だから、今までと同じ行動しかとりようがないのです。
そんな時だからこそ、誰かが強制的に「行動を止めなさい」と言わなければならないのです。
しかし、これは緊急避難措置です。本来はその人が人生で何を選択するかは、本人が選ぶことであって、周りが強制することではありません。
心身が疲弊していて、思考力がまともに働かないという異常事態だから、本人を守るために、敢えて「休む」という選択肢を強制し、人生の責任からも現実からも引き離すのです。
だから、当然に本人が回復していくと同時に、人生の選択肢とそこに付随する責任を本人に返さなければなりません。
そして「あなたが何を選択しても見守っているし、あなたの選択を肯定する。だから自分で考えて、自分で選んで、自分で決めた責任をとるんだよ。あなたにはそれができるばすだ」と、愛の質を変えていかなければならないのです。いつまでも幼子のように手を引いていてはいけないのです。
けれども、安心を与えることを猫可愛がりすることだと勘違いしている人は、本人が回復した後も、嫌なことを肩代わりすることや、責任をとらない甘えを許すことを続けてしまいます。
そうすると、猫可愛がりされた方は、そういう風に甘やかされることが当たり前なんだと、勘違いするようになります。
むしろ、自分が苦労したり、不快になったりすることを自分にさせようとするのは、愛がないと怒るようになります。
そして、自分のできないことや不慣れなことに挑戦することを止め、成長の機会も失うのです。
相手をダメにする愛を与える理由
なぜ、そのように歪な愛を「愛」と勘違いするのでしょうか?
それは、愛を与える側も愛を受け取る側も、本当の「愛」がわからないからです。(愛とは何かについては「愛とは」を参照)
本当の「愛」が分からないから、猫可愛がりすることでしか愛を表現出来ないし、猫可愛がりされることでしか愛を実感できないのです。
だから、本当の「愛」が持っている成長のための厳しさや守るための強さ、見守る信頼といった豊かな滋味を「愛」と感じることができず、相手の気分を害さないといった表面的で簡便な「愛」を「愛」だと勘違いするのです。
相手を成長させる愛を与えるためには
相手を成長させられるような本当の”愛”を表現するためには、本当の”愛”を取り戻すしかありません。
どのような形であれ、表現方法はなんであれ、本質的な”愛”とは変わらずそこにあるという実感を取り戻すしかないのです。
取り戻す方法は実は難しくはありません。
「愛はある」と言葉に出して言ってみるだけです。
最初は背骨や胸、喉などに違和感しか感じないかもしれません。けれども、言っているうちに身体に馴染んでくるのを感じるはずです。
そして、身体に違和感が無くなれば、それで本当の「愛」の取り戻しは完了します。
嘘だと思いますか?
そう思うなら実際に口に出してみると良いでしょう。想像よりも遥かに得るものが多いことに気が付くでしょう。
本当の意味で「愛」を取り戻すと、あなた自身が大きく成長することは言うまでもありません。
しかし、恩恵はそれだけではありません。
あなたの存在が、あなたの周りの人の成長も大きく貢献するようになります。なぜなら、本当の愛を得ることができれば、人は心から安心し、その安心を梃子にして、新しいことへチャレンジしていけるようになるからです。
どうですか?
想像しただけで、素晴らしいと思いませんか?
もし良ければ、ぜひ、本当の「愛」を取り戻すことにチャレンジしてみてください。あなたとあなたの半径3メートル以内の人は、きっと今より生きることが楽しくなるはずですから。


