※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照。
2021年7月某日、第3回国家戦略会議「ユグドラシル」開催。既成概念の話から、「食べられないものはあるのか?」という話へ。
☆「俺さ、昔さ、『この世に食えないものがあるか』って考えてみた。」
♧「この世に食えないものがあるか。ね。うん。それで、(食えないものは)あったのか?」
☆「ない。見つけられない。」
♧「見つけられないっていうか、簡単に言えば、食べる側がどうなるかを無視して、(対象物を)食べられるかどうかって話だろ?」
☆「いや、違う。三つ先で食ってたりするから。」
♧「どういうこと?」
☆「俺が食ってなくても、俺が食ったものが(その対象物を)食ってたりするから。」
♧「うん?」
☆「わかんねぇか。例えば、俺が牛を食ったとする。その牛は何を食ってる?」
♧「草とか?」
☆「その草は何を食ってる?」
♧「土とか?…ああ、ごめん、俺、食えないものがあるかって言われたとき、コンクリートとかと思っちゃった。」
☆「それで良いんだよ。それも食ってる。」
♧「どこで食ってるよ?」
☆「結局、そうなってくると、原子レベルに分解することになってくるのさ。」
♧「食べ物を?」
☆「そう。」
♧「原子レベル。…原子レベルにしたら、食ってるっていえるのかな?放射能とか食ってるか?浴びてるけど、食って無くね?浴びてるものは食ってるかもしれないけど。」
☆「わかったか。そういうことだ。」
♧「それって、食べ物として意識して食ってなくね?」
☆「それは、お前の捉え方だ。食ってるか、食ってないかの話をしただけだ、純粋に。」
♧「純粋にね。」
☆「お前が食ったと認識しているかどうかの話ではなく。この世にくってないものがあるのかな?って考えただけだよ。」
♧「考えただけね。…逆に、それ(食えないもの)探したいな。」
☆「そ。探した。探したけど、未だに見つからない。」
♧「OK。探してくるわ。」
☆「探してくれよ。」
♧「探してくるっていうか、完全人工物の話になるな。自然物は全部、口にしているな。」
☆「ただ、人工物は所詮、原子の組み合わせだから。」
♧「まぁな。原子レベルで食ってないものがないってこと?」
☆「そういうことだ。」
♧「原子レベルでくってないものね…。」
☆「つまり、それが、また、人間の限界なのだ。」
♧「ああ。」
☆「僕ら(人間)が原子までしかできないから。」
♧「いや、できないっていうか、認識の問題だろうね、それは。」
☆「そう。」
♧「うちら(人間)は原子っていうレベルが最小だと認識して生きているだけだから。」
☆「神がいるのか?っていう質問と、質問が同じなのだ。」
♧「まぁな。原子レベルか。原子レベルって言ったら、炭とダイヤモンドが一緒っていう典型的な話になるけどさ。」
☆「だろ?だから、僕らはそこまでしか、分けられないから。」
♧「分けられないっていうか、認識ができない。」
☆「そう。良いことに気づいたね。」
♧「じゃあ、全部、食っているとして、なんか思うことはあった?」
☆「ないよ。」
♧「ないだろ?まぁ、そうだろうな。」
☆「ただ、純粋に食ってないものないのかな?って思っただけ。」
♧「それで☆が虫とか食えるようになるといいんだけどな~。」
「食えないものがあるだろか?」という質問をすると、食う対象として何を想像するかは、人それぞれだろう。
ある人は野菜や果物など多くの人が食材として認識するものを想像するかもれいないし、ある人はコンクリートや鉄など無機物まで含めて想像するかもしれない。
何を想定するかに良いも悪いもないのだが、どこまで想定するかは、その人の視野の広さなのかもしれないと思う。
視野の広さとは、自分が世界を見る基準をどこまで動かせるということだ。例えば、時間軸を現在だけではなく、未来や過去に動かしてみたり、場所を日本だけではなく、世界まで広げてみたりと、自由に考える起点を変えられるということだ。
「食えないものはあるか?」と質問されたとき、時間が「今」に固定されていたら、自分が実際に口に入れる物体にしか思考が及ばないだろう。その場合、コンクリートなどの無機物を食べられる可能性は思い至らないかもれしない。けれども、時間軸が自由になったら、分解されたコンクリートを食物連鎖の中で取り込む、という可能性も見えてきたりする。
視野が広いことが必ずしも良いことではないが、選択肢が増えることは間違いがない。だから、たまには突拍子もない質問で自分の想像力を刺激して、視野を広げて見ることも良いのではないかと思う。





