泣くことは無くしたものへの餞  【DAY104】

※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照

 大切にしていた人や大事にしていた物、可愛がっていた動物、自分が愛情を注いだものを無くすことは悲しい。

 そんな時は泣いたらいい。

 人前で泣くべきではないとか、こんなことくらいで泣くなんて恥ずかしいとか、そんな風に思う必要はない。

 なぜなら、泣くことは、逝ってしまったものに対する餞だからだ。

「逝ってしまったことが哀しくて、哭かずにはいられないほど、愛いしていた、大事に思っていた」

そんな気持ちを涙に変えて、最後に贈るのだ。

 泣いていたら、逝ってしまったものが、心配するという人もいる。もちろん、そういう考え方もある。

 でも、自分が残して逝く立場に立ったとき、自分がいなくなることで、心から悲しみ涙を流してくれる人がいるということ以上に、愛されていたと実感することがあるだろうか?

 だから、逝ってしまったものへ、心からの愛情とこれまでの感謝を伝えるために、大いに泣いたらいい。泣いてあげたらいい。

 泣いて泣いて、気が済むまで泣けたら、その時、あなたは気づくだろう。自分を覆っていた哀しみが落ち着いて、一つの記憶として自分の中に納まっていることに。これは涙の感情の浄化作用によって、哀しみが落ち着くことによる。これを心理学用語ではカタルシスという。

 だから、別れの悲しみは、すべて涙に変えてしまったらいい。逝ってしまったもののためにも、あなたのためにも。

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