※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照。
2021年7月某日、第3回国家戦略会議「ユグドラシル」開催。テーマは国歌を作ることから、自由とは何か?という話へ。
♧「それだったら、会社でもなんとかなるよ。」
☆「ん?もちろん。」
♧「国じゃなくたって。」
☆「だけど、それを会社のルールだからって言うでしょ?それを言わせない。」
♧「ああ、言わせない、のね。」
☆「そう。それが僕らの。」
♧「え、でも、うちの国の自由ってさ。…。うちの自由て、じゃあさ、自由って言い方をしないんだろうけど…。なんか、良い名称、あるか?」
☆「ふふ(笑)名称(笑)答えをすぐ求めるな(笑)」
♧「え、でも、だけど、そういうことじゃん。結局、俺の言う自由と、☆の言う自由と、〇の言う自由が全部違うんであれば。」
☆「たぶんな。」
♧「認識を一緒にしたいんだろ?」
☆「不可能な議論をしてんるんだと、僕は思うよ。」
♧「あ、今?不可能なの?」
☆「うん。」
♧「不可能だと思うよ。でも、言語認識をそうしよう(同じにしよう)ってなったら、他にあるか?」
☆「いや、そうじゃなくて。」
♧「うん。」
☆「決めるしかないんだろうな。これが良いっていうものはないんだろう。」
♧「うん、ない。」
☆「超越論って言うんだろうな。こういうのを。」
♧「…。じゃあ、決まんねぇな。」
☆「だから、言ったじゃん。最初にしては、最大限に難しいテーマだぞって。」
♧「いや、言語とか国家とかあるけどさ。」
☆「だから、そこを曖昧にしておいた方が良いのかもしれない(笑)」
♧「曖昧、にね。」
☆「曖昧にしておくしかないのかもしれない。」
♧「まぁ、それで揉めることもなさそうだからな。」
☆「どうだろうね(笑)」
♧「クソな奴が一人くらいいれば(揉める)かもしれないけど、今のところ、(クソな奴は)いなそうだからな。」
☆「今のところな。そういうやつは、たぶん、やっていけないと思うぞ。」
♧「やっていけないって言ったって、入ってくる奴は、入ってくるからな。」
☆「入ってきたところで、居心地が悪いんじゃないの?」
♧「それが、絵にかいたようなクソだったら、良いんだけどさ。」
☆「良いやつがそうだったら困るってこと?」
♧「絵に描かないような奴もいるじゃん。」
☆「俺はそこまで(笑)無理に引き止めたりはしないし(笑)」
♧「もちろんだよ。」
☆「だから、自然に居心地、悪いんじゃね?」
♧「…。」
☆「…まぁ、でも、それって自由をはく奪してるよな。」
♧「まぁ、多少な。」
☆「矛盾する。」
♧「まぁ、でも、それは、あれじゃないの?」
☆「どう考えても矛盾する。」
♧「うん。」
☆「だから、超越論。」
個人の自由を追求すれば、他者の自由と衝突するときが来る。それは、ごく当たり前のことだ。だからこそ、他者危害の原則という考え方もあるのだろうと思う。
仮に他者危害の原則をもって自由を考えたとしても、他者への危害は何かという問題が出てくる。もちろん、心身への障害など分かりやすい危害もあるだろうが、何をもって危害とするかという統一的な判断は難しいだろう。
そう考えると、自由というのは、解釈の幅が広く、その強弱や濃淡も様々な、玉虫色の言葉だなと、つくづく思う。もっとも、だからこそ「自由」なのかもしれないが。





