「障害者」は凡人の希望【DAY100】

 ※この歴史編纂はLiberという国を☆、♧、〇の3人で立ち上げてからの軌跡を記したものである。詳しくはLiber用語及び中の人たちを参照

 障害というと、精神障害や身体障害など、さまざまなものを含む。私は医療分野の専門家ではないので、どういう症状に対して、どのような名称がつけられているのか、その詳しいところはわからない。そのため、この記事では障害者という名称を使わせてもらおうと思う。

 彼岸も過ぎたというのに、昼は真夏を思わせるような暑さだった。夕方を過ぎるころ、やっと秋だったと思い起こさせるような涼しい風が吹き始めた。

 2021年9月某日。

 ある案件を相談するため、☆(Liberのメンバーについては、中の人たちの記事を参照)と話をした。その中で、きっかけは忘れたが、障害を持つ人の話になった。そこで、☆が次のように言った。

サヴァン症候群なんて、俺から見たら、天才にしか見えない。なんで障害なんて言うのか、俺には理解ができない。
(障害が)本当に不要なものだったら、自然の摂理で淘汰されるはずだ。

 サヴァン症候群というのは、精神障害や知能障害を持っていても、特定の分野で突出した才能を示す人たちである。日本のゴッホとも称される画家の山下清氏もサヴァン症候群だったのではないかと言われている。

 ”障害者”というと、ネガティブな印象を持つ人もいる。心無い人は、障害を持つ人に対して、彼らの存在を否定するような言葉を投げることもある。

 けれども、情けないことに、私はそういう心無い発言をする人に対して、長い間、反論する言葉を持つことができなかった。

生存は基本的人権だから。
命は尊いから。

 そんな一般的な正論を振りかざしてみても、どうしても自分の中で、彼らの存在が必要なのだと、確信が持てなかったのだ。

 しかし、☆の言葉を聞いて、ふと降りてきたものがあった。それは、障害を持つ人は、私のような凡人の希望なんだということだ。

 障害を持つ人は、私のような凡人には見えない世界を見て、感じられないものを感じ、考え付かないような理論を考えているのだろうと思う。(「思う」というのは、私は一般には健常者に分類されるので、彼らの感覚や世界の見方は、想像するしかないからだ。)その世界はきっと私が一生かかってもたどり着くことができないものだろう。

 その彼らの持つ凡人とは違う考え方や感性こそが、人類の多様性であり、人類としての未来への可能性なのだと思う。

 社会という枠の中で、生産性や規律性など、そういう基準で彼ら障害者を見るなら、彼らの存在が否定的に映ってしまうこともあるだろう。

 けれども、人類という大きな観点で見れば、画一的な量産型の人間だけでは、種としての多様性がなくなってしまう。多様性がなくなった生物は終焉に向かう。なぜなら、種に多様性がなくなると、環境の変化や病気、その他の危機に対応しにくくなるからだ。

 だから、障害者と言われる人たちは、私のような凡人に持ちえない考えや感性、それに基づく経験を持ち、そのことによって人類の多様性を担保し、未来への可能性を担っている、言い換えれば、種としての希望なのだろう思う。

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